川崎学舎で文系講師を担当しています。
門野坂翔太です!
月間予定表の下に、毎月ひとつ、コラムを書いています。
川崎学舎は、勉強を作業だけにはしたくない塾です。
受験を通して、思考力と人間性の両方を育てていきたいと思っています。
そのために、子どもたちとの関わりで何が起きているのか。僕自身が何をどのように見ているのか。
そういう「見えにくいけれど、実は一番大切な部分」を言葉にして残しておきたいと思い、文章を書いています。
ここから先は、2026年3月から2025年10月までの半年間で書いてきたコラムの記録を載せますね。
順番に読んでいただくことで「川崎学舎が学びにどんな願いを添えているのか」が、少しずつ伝わってくると思います。
それではスタートです!
2026年3月|学びの前に、まず願いを
はじめまして。川崎学舎の門野坂翔太(かどのさかしょうた)です。子どもたちからはカド。保護者のみなさんからはカド先生と呼ばれています。趣味は、お笑い・読書・アート、そしてエッセイを書くことです。
先月、サグラダ・ファミリアの建築で知られるアントニオ・ガウディの展示に行ってきました。展示の序盤でいきなり、にんにく型の柱が出てくるんですよ。ワリオの鼻が3個くっついたみたいなやつが。……ちょっとした衝撃でしたねえ。
いやあ、それにしても導線が見事な展示でした。ガウディが自然をいかに愛し、学生時代に何を考え、若手時代にどんな仕事に取り組み、その後は技術を極めるために工学に没頭し、最終的に何を実現したかったのか。順番に歩いていくだけで、ガウディの想いがありありと伝わってくる構成だったのです。
その中でも、「物事をうまくやるには、まず愛、そして技術が必要だ」という言葉が特に心に残りました。曲線が印象的なガウディ建築は、単なるテクニックの追究ではありません。ここで、1枚の葉っぱを思い浮かべてみてください。よく見ると、葉はゆるやかにねじれていて、自然と水が落ちるような形をしています。ガウディ建築の曲線美は、こうした自然の中に潜む原理を、建築として体現しようとした結果なのです。
テクニックの前に、まず「理念」がある。ガウディの姿勢を見ていて、これはきっと勉強にも、そのまま当てはまる話だなと思いました。「ちょっとでも善い人になりたい」「できることを増やしたい」「今までとは違う世界の見え方を知りたい」そんな想いが先にあって、勉強はそのあとについてくるもの。僕はそうであってほしいと思っています。
川崎学舎は、テクニックのためだけに勉強する場所ではありません。自分がどう生きたいのか、どんな人でありたいのか。そこから学びを捉え直せる場であってほしいと思っています。だって、その方が勉強って楽しいんですよ。純粋に。
膨大な読書の中から、点と点がつながる瞬間。あれは本当に楽しくて、しょうがない。もちろん、入塾したばかりの子には、まずは学習習慣をつけるために、やることをこちらから指示します。でも、成長に合わせて少しずつ問いを変えていくんです。<あなた>にとって、学びにはどんな意味があるんだろうと。自分なりの勉強の意味や面白さを、見つけてほしいからです。さあ、僕らの学び舎で、新しい学びを始めよう!
2026年2月|卒塾の日に、伝えたかったこと
また、ひとつの受験が終わりますね。小学3年生で教育を志してから「こんなふうに授業がしたいな」「こんなふうに人と関わりたいな」と考え続けていた日々の熱量は何も変わりません。いや、むしろ僕の熱量はどんどん高まっているんじゃないかな。楽しく深く学んでほしいと試行錯誤した日々や、本気で向き合うからこそ湧き上がった怒りが、最後だからこそいっそう鮮明に思い出されます。
予定をしっかり立てろと言い過ぎて「計画ニキ」ってあだ名つけられたな。いろんな言葉の解説をしすぎて、特殊な言葉のコラ画像を作られたな。M-1グランプリの話題を出し過ぎて、授業の中でお笑いラリーしすぎたな。しっかり考えてほしくて、作文を3回も書き直し(リリリライト)させちゃったな。読書するよう言いつつ『忘れる読書』『本は読めないものだから心配するな』という矛盾したタイトルの本を渡しちゃったな。国語がおもろいと思ってほしすぎて小説の内容をちょっとオーバーに演じすぎちゃったな。みんなの話が聴きたすぎて、自分の事務作業を後回しにして小部屋で話す時間をたくさん取っちゃったな……。子どもが楽しそうに話していた目元の柔らかさが。ボケっと授業を聞いていたあの顔が。悔しくて流していた涙が。次々と、頭に浮かんできます。
学校でもクラスが変わるたび、泣き出しそうな寂しさが小さな僕を覆っていました。それは、日々の関わりを大切にして生きたかったからこそ振り絞っていた全力ゆえだったのだと、今は理解できます。そして、その本質は何も変わっていない。学舎のみんなに対して本気で向き合ったという事実が、受験という節目を迎える今、少年の日と同じように深い感慨となって胸に広がっているのでしょう。
卒塾するみんなへ。最後は点数のことばかりに言及して、ごめんね。少し不器用だったもしれないけれど、今を全力で生きてほしいって伝えたかっただけなんだ。みんなも川崎学舎の卒業生たちと同じように、ふらっと話においで。きっと僕は、何も変わっていないよ。相変わらず少し不器用で、ときどきふさけながら、それでも一生懸命に、きみの話を聴くよ。いま感じている想いを分かち合える時間が、僕の生きがいだからさ。
2026年1月|何もない場所を、どう楽しむか
去年の2月、定年を迎えた高校の担任に会うため、同級生たちと山形旅行に行きました。東京駅に9時に集まって新幹線で移動。修学旅行みたいなウキウキした気分が蘇ります。山形駅に着くと、まずは蔵王温泉スキー場へ向かいます。
目的はスノボ、ではなく樹氷の観覧。風と雪が何度も重なり、長い時間をかけて白く変容していった木々には、人の手では決して生み出せない荘厳さがある……はずでした。その日は風が強すぎて、外の様子はほとんど見えず。まあまあな金額を払い、ゴンドラで山頂を目指したものの、途中の景色も頂上の景色も満足に見ることはできませんでした。大行列に並び、4時間も拘束された末に得られたのは、疲労感だけ。思い足取りで、宿へ向かいます。
しかし、部屋に戻ると状況は一変します。バイキングを食べ、風呂に入り、酒を飲みながらワイワイ話し、酔った勢いでラップバトル。気づけば朝の3時。……それでは終わりません。和室の机を中央に寄せ、小さな机を囲み、トランプを配布。1番大きな数を出した人が、1番小さな数を出した人にNGナシの質問トーク。朝の6時まで、今度は深い語り合いの時間になりました。ほとんど眠らないまま朝風呂と食事を済ませ、チェックアウト。担任の先生に会うため、山形駅に向かうも、1時間ほど余裕があり、僕らは山形城跡公園に寄ります。
城「跡」とあるだけに、そこには広大な空間だけが残っています。どうしようかと考える間もなく、関東ではなかなか見られない雪に吸い寄せられ、気づけば雪合戦が始まりました。最初は靴を気にしていた女子たちも、いつの間にか本気モード。肩の後ろでためをつくり、細かなステップで加速し、ダイナミックな投球。ジャイロ回転の雪玉に膝を撃ち抜かれ、早々にアウトになったカドは、実況しながら動画を撮ります。本気の雪合戦を終え、先生と約束した居酒屋へ。現状報告と昔話が折り重なり、とても楽しい同窓会になりました。
結局のところ、僕らは何もないところで話し、動いていただけです。お金をかけたゴンドラでは楽しめなかったのに、ただ話し、走り回っただけで、あまりにも楽しい時間を過ごすことができた。合唱祭で優勝し、学級日誌で長文を書き合った高校時代のクラスも、同じ構造だったと思います。特別な何かがあったわけではない。ただ、与えられた状況をどう楽しむかを考え、実行していただけです。 何もない富士見公園が好きです。何もない空間がある川崎学舎の大教室も。僕は最高の高校時代を送れたからこそ、学舎の子どもたちに、高校は楽しいと胸を張って言いたい。楽しい環境は、待っていれば与えられるものではない。自分が与えられた環境をどう楽しもうかと考え続け、その過程で身に付けた感性を活かせる次の環境に移ったとき、類似した感性を持つ同志に出会える。最高の進路を、掴んでね。
2025年12月|自分の学びを、自分で引き受ける
分析的な視点が主体性を育むのではないかという仮説を立て、子どもたちと関わっているのが、最近の僕です。これまでの経験上、部活でも合唱祭でも仕事でも、もちろん受験でも、「こうした方が上手くいくんじゃないか」とあーだこーだと分析している人の方が、2次関数的に伸びていく傾向にあるのです。後から爆発的に伸びるイメージです。
中2の終わりくらいまでは「このテキストをここまでやろう」と提案型の宿題を出すのですが、学び方と学習内容がある程度固まってきたら、「何に課題意識ある?」「どこを伸ばしたい?」というカスタマイズ・相談型で宿題を決めていく割合が多くなります。このときの僕の提案に対する彼らのボキャブラリーが、能力を最大限に伸ばしつつ主体的に受験に向かえるかどうかの鍵になってくると感じるのです。
初めて英語・国語の2科目を担当し、メインで受け持った学年の子たちが、慶應・早稲田・明治・日比谷・西・渋幕・市川といった名だたる学校の過去問を机に並べ、楽しそうに分析し出したとき、僕はびっくりしました。過去問分析は僕の仕事であり、そこから逆算した学びの指示を出すのが講師の役目だと思っていたからです。彼らは、ゲーム攻略と似た要領で各校・各科目の問題傾向を分析し、自分たちの得意・不得意をありのままに語り、世間話でもするかのようにひとしきり話した後で、僕に戦略の相談を持ちかけてきました。語りによって落とされた彼らなりの見解をつなぎ合わせ、僕は「まずはこれやって、上手くいったらこうで、あまり理解できなかったら今度は——」という形で、やることを提案させてもらいました。彼らと、問題分析と自己分析を雑談のようにし続けた期間は、本当に楽しかったな。受験ですから、上手くいかないことや大変なことももちろんありましたが、最後まで楽しくやり切り、結果も出た学年になりました。
それ以来、「子ども本人の見解」を重視する傾向が強まりました。どれだけ僕の過去問分析が優れていて、美しいカリキュラムを組めたとしても、目の前の子どもたちが「自分の学び」と捉えられず、やらされている状態が続けば、受験期にオーバースペックになったときに必ず不和が起きる。自分で分析する知識・視点を持てるようにする。受験を機に<自分>の人生が生きられるよう、いつも願っています。
2025年11月| 安心して、心を開ける場所へ
高校3年生のときに「長文で学級日誌を書く」ってことをやったんです。それまでは、日付と天気と時間割、それに一言コメントを書くくらいの、すごくシンプルなやつでした。でも、僕の高校は2年生と3年生が同じクラスで、「もっと仲良くなりたいな」と思ったんですよね。それで2年生の12月くらいに、ふと閃いたんです。「学級日誌を長文で書けば、もっと内面から仲良くなれるんじゃないか?」って。……いや、そんなに深く考えてたわけじゃなくて、ただ「なんかやってみたい!」って思っただけかもしれないですけどね(笑)
恋愛の話。3歳までハゲていた話。親に漢字ドリルとDSを投げられた話。どうしても「アボカドバーガー」と言えなかった話。たくさんのエピソードが長文で語られる学級日誌。後ろの席にいた長身でツッコミが上手くて卑屈な木村と、優しいけど自らスベりに行ってしまう久保田、そしてクラスのみんなが長文を書くという悪ノリに付き合ってくれる人たちで本当によかった。合唱祭も優勝したし、卒業スノボ旅行も全員で行く仲の良いクラスになりました。そう。本当に「なりました」という感覚なんです。高校2年生の最初の文化祭とかは、盛り上がりに欠けていたんでね。それ以来、内面の開示と人間関係の関連性に強い興味を持ったことを覚えています。
内面を共有できる、あるいは共有してみようかなと思える環境があること。そうした心の安全性が、家とも学校とも違うサードプレイスとしての価値を持っていること。内面の共有を重ねるうちに、他者の考え方が自分とは大きく異なることを知り、違いを理解したいという思いが、言葉や文章への関心へとつながっていくこと。これらの経験が、周りの友達や大人たちと対話を重ねたいという思いを育むこと。
言い出しっぺとして回ってきた最後の学級日誌で、僕は「みんながバラバラだからこそ、誰しもに違う良さがあり、だからこそ楽しくて飽きないんだ」という多様性を歓待するようなコメントをしていました。自分の本質は何も変わっていないようです。あの頃もいまも、僕は「違うこと」をおもしろがりたいと思っています。あなたの内面が安心してひらかれ、違いをおもしろがりながら共に学べる場所でありますように。そのなかで生まれる対話が、あなたの人生をより善く導くきっかけになりますように。
2025年10月|良い悩みを、積み重ねる
僕は、悩むことをポジティブに捉えています。今の日本の受験制度は、どうしても自分が苦手な科目や、関心のない領域でも勉強しなくてはいけない仕組みになっています。「なんでこんな勉強するんだ……」って思い悩む方がむしろ健全だと思うのです。怖いのは、軽めの勉強を積み重ねることで中3〜高3になった時初めて「あれ、勉強ができなくなってきた。なんで勉強やってんだ」と悩み始めることです。日本の教育は、いろんなことがバランス良くできる万能な人になってほしいという願いからカリキュラムが組まれています。そうなれたら素晴らしいですよね。でも、僕はなれなかった。でも、だからこそ、自分ができることは何かを必死に考えながら生きるようになりました。
大学生・高校生になった卒業生たちが、自分が選んだ学部の理由を話しに来てくれます。説明がとてもロジカルで、納得させられることが多いです。その姿を見ながら「ああ、小中学時代にしっかり自分に向き合った成果が出ているな」と感じさせられます。きっと将来もよく悩み、決断を繰り返しながら素敵なキャリアを築いてくれるだろうと思います。だからこそ、いま在籍している学舎のみんなにも、量も質も深いであろう勉強に、一生懸命向かいあってみて欲しいんです。その先で初めて、自分の得意・不得意を見極め、未来を本気で考える姿勢が育まれると思うんです。 中学2年生の夏休み終わりに、英語の文法書を2/3ほどしか終えられなかった子と話したことがあります。彼は泣きながら、「宿題なんてやらなくたって勉強はできるようになる。そもそも、なんで英語のルールなんて覚えなきゃいけないんだ」という趣旨のことを訴えてきました。僕は、なんて返したかな。でも、最終的には締切を再設定して、彼は宿題をやり切ったんです。その彼が、ふらっと学舎にやってきて、高校3年生の選択科目について相談してくれたことがありました。高校時代に熱中したこと、社会事象で関心のあること、そして彼自身の特性の3点を総合して、一緒に科目を選びました。語りの深さや決断力の確かさに、あのとき本気で話し合った価値と、その積み重ねが生んだ成長を強く感じて、嬉しくなったのを覚えています。
勉強を投げ捨てないよう塩梅は見極めるし、できるだけ深みのある面白い授業をするように僕も頑張る。だから、お互い一生懸命やってみようよ。頑張ってみて、どう感じたかたくさん話そう。未来につながる良い悩みを積み重ねていこうよ。
見方で世界をもっとおもしろく
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
学びが、日常が、おもしろさとじんわりした幸福感で満たされるような見方を提供したい。
僕らの願いです✨
